いちごいちえの記録

すきなもの、音楽、舞台、ドラマ…出会ったものの記録

「忘れえぬ忘れえぬ」の余韻

2021年4月13日。坂元裕二脚本の朗読劇「忘れえぬ忘れえぬ」を観劇。

演じるのは高橋一生×酒井若菜

 

我ながら驚くほどにそのものがたりの余韻が続き、ついには文章に残したくなり、今回このblogという形をとって書き記してみることにした。

 

もともと舞台が好きだった私だが、コロナ禍になってからは一度も劇場に足を運ぶことはなく、これがおよそ2年ぶりの観劇であった。

緊張感の中席に着き、(近すぎず遠すぎず、平静にしっかりと観ることができるであろう座席だ)開演時間を少し過ぎてから客電が落ちた。明かりが消えていくのと同時に、会場にかかっていたME(いわゆる音楽だ)の音量がぐんぐん上がり、高揚感をあおる。

その時点で私はひどく感動していたし、ああ、これだこれだ、舞台の醍醐味。生の臨場感。始まる時の緊張感と高ぶり。…というのも、私自身学生時代に演劇をかじっていたこともあり、舞台での芝居というものには特別な思い入れがある。久々の感覚につつまれ、開始と同時にわくわくし、どきどきした。

 

「おいお前、」

ものがたりは高橋一生演じる’モリ(最里)’の台詞から始まった。

ぶっきらぼうで、’てにをは’がうまく使えず、どこか危なっかしい言葉がつづられていく。

そしてその手紙を受け取り返事をするのが酒井若菜演じる’キオ(木生)’だ。キオは、感情を乱暴という形で表してしまうモリを注意したしなめる。モリはそんなキオに言葉を教えてとほしいと頼む。もっと、自分の気持ちを正しく伝えたいからと。自分を捨てた父と母にしっかり怒りたいからだと。

キオは快諾し、そしてモリに本を読むことをすすめる。モリは図書館へいき、本を読むようになる。そして本を読んだモリは知るのだ。’世界は怖い’と。’人間は怖い’と。

世界の恐ろしさを知ったモリと、恐ろしい話がだいすきなキオ。ふたりはそれぞれ、どこか世界と交われない人間だった。そんな彼らは、夏の間だけ、とある寄宿舎に預けられていた。その寄宿舎のクラスでも交われなかった彼らは、11歳の夏にそこで出会ったのである。

メールや手紙のやり取りだけでなく、モリとキオは同じ時間を過ごすようになる。寄宿舎の近くにある壊れた時計台の前で待ち合わせをする。6:03から動かない時計台には誰も近寄ることがなかったからだ。そしてそこから見える湖のきらきらや、木々のざわめき、そんなゆっくりと流れる場所と時間を共有していくうちに、ふたりにはふたりの世界が作られていく。

そして、それから数年に渡る夏の間、寄宿舎で会うモリとキオ。そんなふたりの数年間の記録。かれらの世界とのたたかいと、世界との交わりと、かれらふたりの世界のおはなしである。

 

ものがたり中盤から登場するのが、’ゆっくりさん’である。ある夏、好奇心からモリとキオは寄宿舎の庭にある’近づいてはいけない’とされる建物へ足を運ぶ。そこにいたのが’ゆっくりさん’であった。ゆっくりさんは、交通事故により植物状態になってしまったおんなのこであった。モリは、チューブにつながれ、動くことのない、でも確実にそこにいるゆっくりさんに興味をひかれる。それから毎日、モリはキオが止めるのも聞かずにゆっくりさんに会いに行くようになる。

 

キオの手紙による独白。

キオはいつしかモリとの時間が特別なものになり、その特別が恋だと気づいていた。恋について熱弁をふるうキオ。恋をすると世界が美しくなるのではなく、恋をすると恐ろしいものが消えてふたりしか見えなくなるから美しいのだ、と。でも、キオは気づいている。モリの心が離れて遠くにあること。キオの思いとはきっと別のところにあること。ふたりの世界は美しい、特別だと思っているのは自分だけなのだということ。

それでも、キオはモリに書く。

あなたが好きです、と。

 

舞台は暗転し、そのキオの告白はなかったかのようにものがたりは進んでいく。

キオとモリのやり取りはその後も続いている。

とある夏、事件が起きる。

ゆっくりさんの眠る施設で手伝いをはじめたモリ。

そしてキオからもらった甘夏をゆっくりさんの部屋に置こうとしたときだった。

モリは見てしまう。聞いてしまう。

ゆっくりさんの主治医と看護師が、ゆっくりさんの額をまるで机かのようにコーヒーを置いたのである。

そのあまりにも侮辱した行為に怒りが沸いたモリは、そのコーヒーを奪い取り、走り去る。そしてモリを追いかけてきた医者に言われるのだ。

’価値のない人間だ’と。’生きる意味のない人間だ’と。

モリは、主治医を殴ってしまう。

そして、モリは更生施設に入ることになる。

 

そのことを知ったキオは、それでもずっと手紙を送り続ける。

やがて、キオはゆっくりさんの施設でお手伝いをするようになる。

モリが心奪われ、祈り続けたゆっくりさん。そのゆっくりさんが目を覚ますまでの様子をモリに伝え続けるキオ。モリはゆっくりさんが回復していることは信じないし、キオに対してもそんな嘘をいうのはやめてくれ、迷惑だ、もう僕に連絡しないでくれ、と突き放す。だがキオはただただゆっくりさんの回復を伝え続ける。

そしてある時、ゆっくりさんが退院することになったと彼女は告げる。

ゆっくりさんが退院する日、キオは彼女に伝えたのだ。モリが彼女の回復を祈り続けていたことを。彼女が眠り続けていた間、ずっとそばで祈り続けていたことを。そしてゆっくりさんは言う。私が眠っているとき、ずっと聞こえていた声がありました。私は覚えています。私は、その声に起こしてもらったのだから。けして忘れえぬ、忘れえぬ声だと。

キオはモリにそのことを伝える。

モリは、キオにありがとう、と伝える。

そしてモリは言う。僕も、君に嘘をついたことがある。君からの手紙を読んでいないふりをした。いや、あの手紙はあの言葉たちは本当に君からもらったものだったのかわからない。僕の妄想かもしれない。だとしたら気味が悪いかもしれない。けれど、僕も伝えたいと思う。

今日も君のことが好きです。

 

そして時は流れ、キオは小説家に。モリは訓練所での裁縫が身を結び服作りの仕事をしている。キオは言う。モリくん、私ははじめてしあわせな結末のお話を書きました。恥ずかしいから言いませんでした。モリ君がモデルの男の子が出てきます。彼のこんな言葉から物語ははじまります。

「おいお前、」

 

 

本当に贅沢な一時間半。とてもとても素晴らしかった。私は、ゆっくりさんが回復していくのはキオが紡いだ幸せな結末のお話の中のことなのだろうと思っている。実際にはゆっくりさんは目を覚ましていないのではないか。そしてそのことをきっとモリもわかっているのではないか。

モリは、はじめは突っぱねていた。ゆっくりさんの回復なんて、そんなうまくできた話なんか信じない、と。

でも、キオの愛を受け取ったのではないか。だからこそ、モリはゆっくりさんの話を信じたし、そしてキオにありがとうと伝え、そしてあの夏の返事をしたのだ。

僕も好きだ、と。

 

あれは、キオからの眩暈がするほど大きな愛でしかないと思う。

外から傷つけられてばかりいたモリ。傷つけられることに慣れていたモリ。

そんなモリが受け取った、はじめての愛ではなかったか。

キオの書いたものがたりと、現実の境目がいったりきたりするようなそんな展開。すべて本当のような気もするし、すべて嘘のような気もする。だがモリとキオは確かに存在していたし、彼らの不器用な心と繊細な心は確かに交わっていたし、ゆっくりさんの存在も確かだ。

6:03から時がとまった時計台が最後にいとも簡単に動き出したように、きっとモリとキオのふたりの世界も動き出したに違いない。かれらのもつ愛情が交わり、そしてそこからやっと彼らは自分自身をも愛せるようになるのではないか。

キオがモリを助けたかったように、誰かのためにつく嘘は、この世にしっかりと愛として存在するのだ。

キオが書いた、キオが贈った、しあわせの結末。

それはキオからモリへのラブレターだ。